東京高等裁判所 平成3年(ネ)1676号 判決 1993年1月25日
控訴人(被告)
岡庭宣英
ほか一名
被控訴人(原告)
住野清一
主文
一 原判決主文第一ないし第三項を次のとおり変更する。
1 控訴人らは、被控訴人に対し、連帯して金二一三万〇五一三円及びこれに対する昭和六三年一月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人伊勢しづ子は、被控訴人に対し、金二二万六八〇〇円及びこれに対する昭和六三年一月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
二 原判決の仮執行宣言に基づき控訴人伊勢しづ子が被控訴人に対して支払つた金員の返還等の申立につき、
1 被控訴人は控訴人伊勢しづ子に対し金二六九万五三六九円及びこれに対する平成三年六月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人伊勢しづ子のその余の請求を棄却する。
三 被控訴人の本訴請求に係る訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人の負担とし、本判決第二項の部分に関する訴訟費用についてはこれを二分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。被控訴人の控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに民事訴訟法一九八条に基づく申立事件につき「被控訴人は控訴人伊勢しづ子に対し金五四五万五〇四〇円及びこれに対する平成三年六月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。申立費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、民事訴訟法一九八条に基づく申立の理由を次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決二枚目裏三行目の「九時」の次に「三〇分」を、同三枚目裏五行目の「雑費」の次に「(一日当たり一二〇〇円として二七日分)」を、同九行目の「リハビリテーシヨン」の次に「(被控訴人は前記後遺症の程度がひどく昭和六二年四月以降も毎週四、五日リハビリテーシヨンのため同病院に通院していた。)」を、同四枚目裏三行目の「額」の次に「(一年間の原稿料及び委託研究費の合計額)」をそれぞれ加える。)。
「(民事訴訟法一九八条に基づく申立の理由)
原判決には仮執行宣言が付されているところ、控訴人らが本件控訴を申し立てた後の平成三年五月二三日、被控訴人は控訴人らに対して、原判決に基づく支払の催告と支払わない場合は右仮執行宣言に基づき強制執行をする旨通知してきた。このため、控訴人伊勢はやむをえず平成三年五月三一日に被控訴人に対し原判決の認容額金四六五万九七〇〇円及びこれに対する昭和六三年一月一日から平成三年五月三一日までの遅延損害金七九万五三四〇円の合計五四五万五〇四〇円を支払つた。したがつて、本件控訴に基づいて原判決が取り消されるときは、原判決の仮執行宣言もその効力を失うことになるから、控訴人伊勢は、民事訴訟法一九八条二項に基づき、被控訴人に対して右支払に係る金五四五万五〇四〇円及びこれに対する右支払日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」
三 証拠関係は、本件記録中の原審及び当審の書証目録並びに証人等目録の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。
理由
一 被控訴人の請求原因及び控訴人らの主張に対する当裁判所の認定判断は、次のとおり付加するほか、原判決の理由説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
1 原判決六枚目裏七行目の「本件事故」から同九行目の「発生した」までを「本件事故は、控訴人伊勢が被控訴人運転の被害車に追従して加害車を運転していたところ、被害車の前車が急停車したのに応じて被害車が急停車した際、控訴人伊勢が前車の動きを十分注視していなかつたため、被害車が急停車したのに即応できなかつたことにより発生した」に改める。
2 同七枚目裏一一行目の「後遺障害」を「症状固定日及び被控訴人の自覚症状」に、同裏二行目の「後遺障害」を「自覚症状」に改める。
3 同七枚目裏三行目の「被告ら」から同八枚目表一行目末尾までを次のとおり改める。
「 被控訴人は本件事故により頸部痛、頭痛、耳閉感、左小指の痺れの後遺症が生じている旨主張するので検討する。
前認定の事実に前掲各証拠並びに弁論の全趣旨を総合すれば、公立学校共済組合関東中央病院の診療録(乙第七号証)の昭和六二年一月八日欄には、「頸部痛―なし、関節可動域―いつぱい、通覚―なし、ジヤクソン徴候―なし、スパークリング徴候―なし、レールミツト徴候―なし、異常反射―なし」等の記載が、また、同月九日の欄には、被控訴人の第四、第五頸椎間及び第三、第四頸椎間にそれぞれ不安定な骨棘が存在する旨の記載があること、同病院の医師田淵健一は、症状固定時に被控訴人には前記1(3)記載のとおりの自覚症状があるが、他覚症状としては、神経学的に筋力、知覚反射の異常はない旨診断していること(昭和六二年四月二二日付診断書、甲第二号証、乙第四号証)、自賠責保険調査事務所は、後遺障害事前認定手続において、右診断書に基づき、被控訴人については自賠法施行令別表後遺障害等級に非該当との認定をしたこと、被控訴人は右事前認定に対して格別異議の申立て等はしなかつたことが認められる。
ところで、いわゆる鞭打症は自覚的な訴えが多い割には他覚的所見に乏しいものであり、それが外傷に起因するのか、心因的なものに過ぎないのかを判断することは医学的にも困難を伴うとされているわけであるが、本件においては、被控訴人に前認定のような骨棘の存在が認められるので、まず、これと本件事故との関係について検討する。
弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証によれば、身体の組織は成長の終わつた後、年齢的には二〇代の後半から老化(医学的には退行変性という。)に向いはじめるが、頸椎における退行変性も基本的には同様で、軟骨組織である椎間板が退行変性により次第に水分を失つて硬くなるとともに体積を減じていくと、椎間板の果たしていた頸椎にかかる重量を受けるクツションの役割も減じていくこと、退行変性により硬く小さくなつた椎間板は上下の椎体を不安定にし、この不安定になつた椎体に安定性を取り戻すために椎体同士を骨で橋わたしするような反応が起こつて骨棘が生じること、ほとんどの人は四〇代になると体積を減じた椎間板と骨棘の存在が見られるようになること、このような退行変性があつて追突事故を受けると、神経根症状を呈したり、脊髄症を起こしやすいことが認められる。このような骨棘の発生機序、被控訴人の年齢(昭和二四年六月四日生)からすると、前認定のように被控訴人の第四、第五頸椎間及び第三、第四頸椎間に骨棘が認められるからといつて、これが本件事故によつて生じたものとは認められないし、椎間板に右のような退行変性があつて追突事故を受けると神経根症状を呈したり、脊髄症を起こしやすいということができても、被控訴人には神経学的に筋力、知覚反射の異常はないと診断されていることなど前認定のような事情からすると、右骨棘の存在から直ちに被控訴人に本件事故に起因する後遺障害が生じているものとも認め難い。この点については、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一三号証によれば、JR東京総合病院整形外科の医師松本悟も、被控訴人の関東中央病院の診療録、入院病歴、X線、診断書、後遺障害診断書、東京歯科大学市川総合病院の診療録、診断書等をもとに、第六頸椎椎体前縁の上下径が短縮して変形が、第五頸椎椎体下縁前方に突出があり骨棘変形が、また、第五、第六頸椎間が狭小化して骨棘形成がそれぞれ認められるが、いずれも交通事故短期間に生じたものではなく、交通外傷に起因するものではない旨、被控訴人の場合、交通外傷後主として自覚症状のみで他覚的所見に乏しく頸椎X線所見において交通外傷に起因する骨傷も見られず、本件事故後再び交通事故(当事者の主張二5記載の事故、以下「第二事故」という。)にあつた際の診断によつても頸椎圧迫の所見は見られなかつた旨、被控訴人は理学療法などに熱心であつたが、この点に関する医師の記載に乏しく、期待されるような改善が見られなかつたようであるから心因反応の疑いが強く考えられる旨の意見を述べているところである。
なお、成立に争いのない乙第一一号証の一三の一(第二事故につき後遺障害等級第一四級一〇号の事前認定がされたが、これを不服とする被控訴人が安田火災海上保険株式会社に対して提出した異議申立書)によれば、被控訴人は、右異議申立書において、本件事故について後遺障害認定の申請をしたところ、認定等級に該当しないとのことであつたが、これは他覚所見なしと判定されたことと考えられ、第二事故後に他覚的所見を含む諸症状が新たに出現したわけであるから、現在の症状及び他覚的所見はすべて第二事故に由来すると考える旨の意見を述べていることが認められる。これは第二事故の損害賠償に関するものであるから、後遺障害がもつぱら第二事故に起因する旨を強調したものと受け取られなくもないが、被控訴人は、右異議申立書において、被控訴人の経歴や医師の職にあることを前置して、その論拠は科学と医師の良心に裏付けられたものであることに御留意願いたいとも述べており、被控訴人が右異議申立書において右のような意見を述べていることも考慮すべき事情である。
以上のとおりであつて、被控訴人には他覚的な異常所見が認められないにもかかわらず、自覚的な訴えが多いのであつて、被控訴人の右自覚症状の原因は明確でないといわざるを得ない。結局、本件全証拠によつても、被控訴人に本件事故に起因する後遺障害が生じたとは認められない。」
4 同八枚目表七行目の「八万〇一四九円」を「六万六六四九円」に、同一〇行目の「六万二五二〇円」を「四万九〇二〇円(一万〇六〇〇円+三万三九二〇円+三〇〇〇円+一五〇〇円)」にそれぞれ改め、同一一行目の「要した治療費」の次に「(三万二三二〇円、文書料を含む。)」を加え、同裏三行目の「八万〇一四九円」を「六万六六四九円」に改める。
5 同八枚目裏八行目の「ないのであるところ」を「ないというべきであるところ」に改める。
6 同九枚目裏一行目の「二一二万〇三五一円」を「二三万一四六四円」に、同二行目の「一八八万八八八七円」を「〇円」にそれぞれ改め、同四行目の「一及び二、」の次に「四六の一、二、四七ないし五一」を、同行の「原告は、」の次に「昭和六一年三月まで勤務していた東大病院においては原稿料等の副収入はなかつたが、同年四月、」をそれぞれ加え、同五行目の「していた当時」を「するようになり、以後」に、同八行目の「作成時」を「作成後」に、同九行目の「一件」から同一〇行目の「多いこと」までを「平均すると一症例当たり一一万一一一一円であつたこと」にそれぞれ改め、同一〇行目の「原告は」から同一〇枚目表四行目末尾までを次のとおり改める。
「 被控訴人は本件事故当時も右のような委託研究ないし原稿作成の依頼を受けていたこと、しかし、当時、右のような製薬会社からの依頼は口頭でなされ、医師の承諾が得られた段階で学術部に専用の用紙を請求し、正式に文書で依頼がなされることになつていたこと、本件事故後、被控訴人は依頼を受けていた製薬会社に対して口頭でこれを断つたため、被控訴人が製薬会社から委託研究ないし原稿作成の依頼を受けていたことに関する文書はないこと、そこで、被控訴人は、本件訴訟提起後、製薬会社に参考例文を示して、右依頼に関する証明書の発行を求めたこと、被控訴人の求めに応じた製薬会社一七社は被控訴人の作成した参考文例をもとに、それぞれ証明書(甲第一四ないし第二〇号証、第二二ないし第二四号証、第三五ないし第四〇号証、第四四号証の一、二、以下「本件各証明書」という。)を作成して被控訴人に送付したこと、右証明書は、いずれも各製薬会社が右病院に納品した各製薬について、各担当者の作成名義により、概ね「昭和六一年一一月から同六二年三月までの間、被控訴人に対して、薬事法一四条の二(再審査)の規定に基づき、第四相臨床試験を依頼しましたが、昭和六一年一一月一五日の交通事故による入院及びその後遺症のため、受諾されませんでした。」という内容のものであることが認められる。右認定の事実によれば、本件事故当時、被控訴人が製薬会社から委託研究ないし原稿作成の依頼を口頭で受けていたこと自体は認められるものの、右依頼に関する唯一の具体的な資料である本件各証明書はいずれも本件訴訟提起後に作成されておりその内容も各製薬会社が被控訴人に求められるままに記載したもので、被控訴人の主張内容に相応するものである。この点に関し、控訴人らは、本件各証明書はその成立及び内容について反対尋問によつて検証されていないとして、その証明力について疑問を提起した上、第四相臨床試験の依頼は、製薬会社の任意、これに対する応諾、拒絶も医師の任意、提出期限、原稿料・委託研究費の定めもないというものであつて、そこに認められる関係は好意とこれに対する謝礼というものに過ぎず、休業損害としてその支払を加害者に転嫁してまでその取得を保護すべきものではないというべきであると反論し、本件事故による休業日数は二七日間であるが、右委託研究等ができなかつたことと本件事故との間に因果関係を認め得るか、また、右口頭の依頼については被控訴人がこれを受諾しなかつたものであり、これを受諾して被控訴人の体調が回復した後に右委託研究等に従事することができなかつたものか等の疑問も提起しておりこれらの疑問ないし反論はいずれも首肯するに足りるものである。これに加えて被控訴人の主張も従前の副業実績をもとにこれを月額に換算した上で本件事故後昭和六二年三月末までの副業を休業したことの損害を求めるというにとどまり、特に期間も長期に及んでいないことからすると、被控訴人が本件事故前本来の給与所得のほかに相当の副業収入を得ており、本件事故により右副業収入を受けることに影響があつたであろうことは推認されないわけではないが、本件事故に起因して得られなかつた副業収入額を確定するに足りる的確な証拠もないといわざるを得ず、結局、本件全証拠をもつてしても被控訴人の右休業損害についての主張を肯認することができない。本件事故により副業収入を受けることに影響があつたことについては後記慰謝料中で考慮することとする。」
7 同一〇枚目表九行目冒頭から同裏七行目末尾までを削り、同八行目の「7」を「6」に、同一一枚目表二行目の「8」を「7」に、同一一行目の「9」を「8」にそれぞれ改める。
8 同一〇枚目裏八行目の「一八〇万〇〇〇〇円」を「一五〇万円」に、同九行目の「後遺症」から同一〇行目の「努力」までを「前記のとおり、本件事故により副業収入を受けることに影響があつたこと」に、同一一行目の「一八〇万円」を「一五〇万円」にそれぞれ改める。
9 同一一枚目表一一行目及び同裏五行目の各「四〇万〇〇〇〇円」をそれぞれ「三〇万円」に改める。
二 控訴人伊勢は、原判決に付された仮執行宣言に基づいて被控訴人に対して給付した金員の返還等を請求しているところ、被控訴人が控訴人らに対して、原判決に基づく支払の催告をし、これを支払わない場合は右仮執行宣言に基づき強制執行をする旨通知したこと、このため、控訴人伊勢は平成三年五月三一日に被控訴人に対し原判決の認容額金四六五万九七〇〇円及びこれに対する昭和六三年一月一日から右同日までの遅延損害金七九万五三四〇円の合計五四五万五〇四〇円を支払つたことはいずれも被控訴人においてこれを争わない。そうすると、本件において、被控訴人の本件請求に係る原判決は主文第一項のとおり変更されることになり、原判決に付された仮執行宣言も右の限度で失効するから、被控訴人には、控訴人伊勢が被控訴人に対して支払つた右金五四五万五〇四〇円のうち本判決主文第一項の認容額を超える部分である金二六九万五三六九円(五四五万五〇四〇円から二三五万七三一三円及び昭和六三年一月一日から平成三年五月三一日までの遅延損害金四〇万二三五八円の合計二七五万九六七一円を差し引いた金員)及び損害賠償としてこれに対する右給付日後である平成三年六月一日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による金員の支払義務のあることが明らかである。したがつて、控訴人伊勢の右請求は、被控訴人に対し金二六九万五三六九円及びこれに対する平成三年六月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。
三 以上認定説示のとおりであるから、被控訴人の控訴人らに対する本訴請求は、被控訴人らに対し連帯して金二一三万〇五一三円及びこれに対する本件事故日後である昭和六三年一月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、控訴人伊勢に対し金二二万六八〇〇円及びこれに対する右昭和六三年一月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、その余は理由がない。また、控訴人伊勢が民事訴訟法一九八条二項に基づく裁判を求める申立てについては、被控訴人に対して金二六九万五三六九円及びこれに対する平成三年六月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、その余は理由がない。
よつて、本訴請求につき当裁判所の右判断と一部符合しない原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条一項本文、一九八条二項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 丹宗朝子 新村正人 原敏雄)